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書庫では雨が実を結ぶ

第 80 話 / 全 88 話 2026.10.03 15:10 配信 毎日ショートショート編集部

新潟と徳島、広島と阪神が入れ替わりで画面の中で争っている間、私は地下二階の書庫で、紙の匂いをかいでいた。貸出記録の途切れた本を、誰かが決めた未来へ送るため、今日も段ボールに詰めていた。

私はこの図書館の書庫整理員だ。仕事は、中央端末が選び出した本を探し、除籍票を貼り、運送業者の集荷に備えることである。端末は貸出点数、閲覧履歴、検索回数を集計し、十年以上誰にも求められなかった資料を「低需要」と判定する。紙の本は空気のようなもので、必要なときに存在しないと、ないものと同じにされた。

画面の中で、勝者の地名が何度も光っている。職員室の推薦表示も対戦結果に合わせて変わり、勝った地域にゆかりの本が並ぶ。多くの人が歓声を上げるほど、地下の蔵書は静かに減っていった。私は端末を見ながら、頭の中でだけ反論した。本は使われるためにだけあるのではない。だが、その反論はどこにも記録されない。

返却口から、紙袋に入った古い絵本が滑り落ちてきた。その表紙には、軍帽をかぶった蛙の兵隊が描かれていた。中には同じ姿をした小さな玩具が入っていて、裏に子供らしい字で、〈この本は占拠しました〉と書かれていた。

その玩具は、湿度が高くなると低く鳴く。私は棚の隅に置いた。以来、蛙は除籍用の段ボールの上や、古い地図の背表紙の前に姿を現した。職員が片付けても、誰かが探す手伝いをするように、いつか元いた場所へ戻っていた。私は勝手に、あれを書庫の小さな占領者と呼んでいた。

整理を続けるうち、十年前の寄贈品らしき段ボールを見つけた。中には土の色をした分厚い冊子が入っていた。題名は『応急栽培と食料用紙資料』。端末のバーコードを読ませても、出版社も登録日も表示されず、資料区分だけが、〈未承認非常食〉と点滅した。

冊子の序文によれば、いざというときのために、野菜や穀物の種を紙の層に織り込む技術が試されていたらしい。水に濡らせば紙は土になり、種は芽を出す。識字できる者は手順を読み、読めない者は育った芽を食べればよい。知識と食料を分ける必要はない、と書かれていた。

しかし、実際に芽の入っているかどうかは分からなかった。試作品だからか、段ボールの底には、割れた小包と白い粒が残っていた。白い粒は乾燥した紙片のようにも、何年も眠った種のようにも見えた。

中央端末はその後も奇妙な誤作動を続けた。書庫内の蔵書を次々に、〈未登録の食物繊維〉と判定するのだ。文学全集は発酵可能資源、郷土資料は緑化基材、辞書は固形栄養補助食品へ分類された。職員は操作ミスだと笑ったが、私は端末が黙り込む日を、心の奥で待っていた。

書庫では雨が実を結ぶ 挿絵

来週、中央システムは大規模な更新を受ける。更新期間中、検索や在庫管理はできない。その間に除籍作業を済ませなければ、閉館時間が早まるため、作業員の配置も変わってしまう。私たちは急かされ、段ボールを積み上げた。その一番下に、土の色をした冊子と白い粒の入った小包が置かれていた。

更新日の朝、空は鉛色だった。地上で開かれるはずだった対抗戦は悪天候のため順延され、広場に集まった人々が散り始めた頃、書庫の蛍光灯が一瞬落ちた。中央端末の画面は暗くなり、推薦表示も検索記録も消えた。書庫には、換気扇のうなりと紙の静けさだけが残った。

その静けさの中で、軍帽の蛙が鳴いた。低く、長く、濡れた土の底から響いてくるような音だった。私が見上げると、天井から一筋の水が落ち、返却カートの脇に小さな水たまりを作っていた。動悸が早くなるのを感じた。本を乾いた通路へ運び出すべきだった。

私は何冊かの本を抱えた。だが、土の色をした冊子が入った段ボールの前で立ち止まった。乾かせば保存できる。濡らせば、何かが壊れるかもしれない。その二つの未来のあいだに、私はじっと立っていた。やがて水は紙袋を伝い、冊子の角を黒く染めた。私は段ボールをそのままにした。

雨は、貸出期限のない客のように、一冊ずつページを開いていった。水に触れた紙はゆっくりとほぐれ、黒い文字は読めなくなり、白い面は土の色に変わった。しばらくして、本の裂け目から細い緑が顔を出した。初めの一粒は、誰かの指ほどもなかった。

次の瞬間、暗がりの棚に、点滅灯のような芽が幾つも灯った。根は段ボールを破り、本棚の脚に巻きつき、書架同士を緩やかに結んだ。緑の匂いが、防カビ剤と古紙の匂いを追い越した。あたりは森ではなかった。それでも、私には蔵書が育ち始めたように見えた。

警報が鳴らないのは、中央端末がまだ眠っているからだった。私は受話器に手を伸ばし、途中で止めた。種が育つ音を、世界が聞き逃すのは不公平だと思った。同時に、種を眠らせておくのは、もっと不公平だとも思った。

軍帽の蛙は、水たまりの中に落ちた段ボールの上に座っていた。鳴くでもなく、動くでもない。ただ緑の芽を、指揮官のように見下ろしている。本棚はまだ崩れなかった。根が床を渡り、次の段ボールへ届こうとしていた。

私は本を守ることが、言葉を同じ形に留めることだと思っていた。でも、もしかしたら本とは、忘れられないように未来へ渡すための殻なのかもしれない。世界の終わりが、新しい芽を食べることから始まるなら、それは終わりと呼ぶべきなのか。

雨はまだ降り続け、地下二階の棚は音もなく緑に近づいていた。誰かが気づくまで、あとどれほど時間があるのだろう。私は軍帽の蛙の隣に腰を下ろし、生まれてくる何かを、静かに見届けることにした。

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