黄昏堂の呪文

毎日ショートショート

フジタは古道具屋「黄昏堂」の戸を閉めようとしていた。

夕陽が店内の埃を金色の粒子に変える。

今日も一日、何も変わらない穏やかな終わり。

そう思われた。

 

その時、一人の若者が戸口に現れた。

アキラと名乗る彼は、珍しく閉店間際の客だった。

 

彼は店内の品々を物色し、埃をかぶった地球儀の前で立ち止まった。

「この地球儀は、本当はまだ旅をしているべきなのに」

アキラは呟いた。

 

フジタは彼の言葉に耳を傾けた。

すると、地球儀がギギギと微かに音を立て、軸を中心にゆっくりと回転を始めた。

フジタは目を擦った。

気のせいか、と彼は思った。

 

翌日もアキラは現れた。

彼は壊れた蓄音機を見つめ、「もう一度、素晴らしい音を奏でるべきだ」と言った。

途端、蓄音機から、か細いノイズと共に、遠い時代のジャズが流れ出した。

フジタは声も出なかった。

 

それからというもの、アキラの言葉は確実に店内の古道具に変化をもたらした。

「この錆びたナイフは、獲物を仕留める鋭さを取り戻すべきだ」

ナイフの錆は消え、刃は鋭利さを増した。

 

「この古びた人形は、誰かに愛され、抱きしめられるべきだ」

人形の表情は和らぎ、表面の汚れが消え、まるで命が宿ったかのように見えた。

 

アキラは無邪気に言葉を発し、その都度、古道具は彼の言葉通りの「理想の姿」へと変貌した。

フジタは事態を理解した。アキラの言葉には、対象の「本質」を変える力があるのだ。

しかし、同時に、その品が持つ本来の歴史や、時間の積み重ねが消え去ることに、奇妙な寂しさを感じた。

 

ある夕暮れ時。

アキラは店の奥に置かれた、曇った手鏡を見つけた。

「この鏡は、真実を映すべきだ。見せかけではない、本当の姿を」

アキラはそう言い、鏡をのぞき込んだ。

 

鏡は激しく震え、表面の曇りが一瞬で晴れた。

そこに映し出されたのは、アキラ自身の姿だった。

 

しかし、それは彼が普段見慣れた姿ではなかった。

彼の内面に潜む、あらゆる醜さ、臆病さ、傲慢さが剥き出しになったような、おぞましい姿だった。

アキラは悲鳴を上げて鏡を落とし、卒倒した。

 

フジタは静かに鏡を拾い上げた。

鏡は再び曇り、何の変哲もない古びた手鏡に戻っていた。

 

彼の言葉は、確かに真実を映したのだ。

だが、その真実は、誰もが望むものではなかった。

 

フジタは店の表に小さな看板を掲げた。「言葉の力で、あなたの品物の『真実』をお見せします」

だが、その日以来、古道具を求める客は減り、彼の店を訪れる者は皆無となった。

誰もが、自分の「真実」を知ることを望まなかったのだ。

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