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ぞくっとする

新型を見納める夜の駅

第 130 話 / 全 130 話 2026.10.15 07:11 配信 約4分で読める
新型を見納める夜の駅

頭上に跨線橋が架かり、その下に十六本の着発線が扇のように開いている。午前零時。構内を端から端まで歩くと八分かかる。ここが、彼の職場だ。夜の貨物駅は、まず音でできている。遠くの踏切、ポイントの転換、長く鳴るブレーキ。音が近づけば着線、遠ざかれば出発。彼は暗闇のなかで、耳だけで明日を仕分けられた。

積まれてくるのは、自動車だった。工場から港へ、港から内陸へ。新しい車は夜のあいだに国を移動し、朝には販売店のガラスの前に並ぶ。人々がその輝きを眺めるのは昼のことで、夜のあいだの移動を、彼は十一年来引き受けてきた。梱包のフィルムと、新しい樹脂と、まだ一度も火の入ったことのないエンジン。その匂いを、彼は誰より長く吸ってきた。

貨物票には行き先の販社名が打たれている。彼はそれを読み上げ、構内係に番線を告げた。秋だけは場の空気が変わった。工場が新型を出す季節だからだ。新型を最初に積んだ列は、いつもより少し速く走ってくる気がした。票の隅に「新型」の二字があると、彼の声が、ほんの少し張った。自分で気づいていて、直せなかった。

若いころ、彼は車を描いて食うつもりだった。メーカーの設計試験を受け、落ちた。それから鉛筆は握っていないが、型式のならびは今も頭にある。隣の若い係員が首をかしげる型式は、彼には紙を見なくても分かった。年式も、社名も。言い当てると係員は目を丸くしたが、彼は先を続けなかった。休憩のたび、手帳にその夜に来た新型を書き留めた。見せる相手も、使い道もない。ただ、国じゅうの車が眠っているあいだに、明日の流れをだれより早く言い当てる人間でありたい。それだけが、しまったままの野心だった。

今年の秋、票の流れが変わった。新型を積んだ列の行き先が、販社ではなく、見覚えのない留置番号になっている。詰め所の古い係員が、北の貸し空地だと教えてくれた。「売れ残りが、先にこちらへ来る。順番が逆になっただけや」古い係員はそれだけ言い、フックに荷札を掛けた。

十一月には、積んだまま戻ってくる列が出始めた。販社が受け取りを断ったのだ。車は再び北へ。港へ向かうはずの列が、空のまま軋みを立てて番線へ戻っていく。彼は合図の旗を振りながら、腕の速さだけは、昔のままに保った。

新型を見納める夜の駅 挿絵

師走に入るころ、北の空地が銀の海になっていた。

休憩の三十分、彼は海に入った。ナトリウム灯の橙が、ルーフの列を幾重にも折り重ねて照らしている。どの車も一度も走っておらず、メーターの針は生まれた日の位置のままだった。保護フィルムが風に鳴る。見渡すかぎり、新しいものが動かずに並んでいる。彼は足を止めた。美しい、と思ってしまい、それから指先の冷えを感じた。ここに眠るのは、だれのもとへも渡れなかった新しいものだ。彼は手袋を外し、いちばん端のボンネットに掌を置いた。鋼板の冷たさが、夜の底から伝わってくる。彼は休み時間が終わるまで、そこを動かなかった。

海のまんなかで、彼は猫に会った。茶色いのが一匹、いちばん新しい型のボンネットの上で丸くなっている。昼の陽を鋼板がまだ覚えているのだ、と彼は思った。車は何もしてやれない。ただ温かい板になっただけだ。猫は目を開けず、足音も聞こえないふりをした。ここに気配のある生きものは、彼とこの猫だけだった。

詰め所に戻っても、彼は手帳を開かなかった。最後のページには「北へ流れが集まる」と書きかけの一行が前からある。彼は毎晩その下に鉛筆の先を当てて、結局、何も書かなかった。流れが止まった日の自分の顔が、うまく浮かばなかった。

師走の半ばの夜、彼は詰め所の壁の予定表の前で足を止めた。翌日以降の入線欄が、白かった。更新を待っても、白いままだった。四十年、一日も途切れなかった自動車の列が、欄ごと消えていた。係長に聞くと、係長はただ肩をすくめた。

彼はホームへ出た。十六本の線路が月光を溜めて、闇の向こうまでまっすぐ延びていた。今日はどこからも、一本も来ない。耳を澄ましても、踏切は鳴らなかった。海のほうから風が渡り、一枚の保護フィルムの端を持ち上げ、離した。フィルムは元に戻らず、めくれたまま小さく震えている。彼は襟を立て、始発までそこに立っていた。海の奥で、それに続く膜が、音もなく剥がれはじめていた。

夜
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