昼下がりの銀行支店。
タナカはATMの列に並んでいた。
今日は給料日だ。
彼の前には高齢の女性が、後ろには若い男性が立っている。
ごくありふれた光景だった。
タナカの番が来た。
彼は手慣れた操作で、現金を引き出した。
続いて残高照会ボタンを押す。
画面に表示された利用履歴に、見慣れない項目があった。
「午前11時32分 喫茶店ランチ代 1,200円」。
タナカは首を傾げた。
今日の昼食はカップ麺だった。
まさか、妻が勝手に使ったのか?
いや、それにしては時刻が早すぎる。
表示はすぐに消え、正常な履歴に戻った。
彼は「気のせいか」と呟き、次のオオタ婦人に場所を譲った。
オオタ婦人が操作を始めた。
すると、画面が一瞬、緑色の公園の景色を映し出した。
小さな子供がブランコに乗っている。
彼女は目を瞬かせた。
「あら、今の何かしら?」
だが、画面はすでに通常の操作画面に戻っていた。
「何か見えましたか?」
後ろにいたヤマダ青年が尋ねた。
「ええ、公園のようなものが。変な機械ですね」
オオタ婦人は怪訝そうに言った。
ヤマダ青年が自分の番になり、操作を始めた。
彼が預金を確認すると、画面下部に小さな文字でメッセージが表示された。
「ワタシハ、キオクシテイル」
その文字はすぐに消えた。
ヤマダ青年は驚いて、後ろにいたタナカを振り返った。
「まさか、これって……」
タナカは先ほどの自分の体験を思い出した。
喫茶店のランチ代。
公園の景色。
「このATMは、誰かの記憶を表示しているのかもしれません」
タナカがそう言うと、ヤマダ青年は目を見開いた。
「まさか、そんな」
オオタ婦人が再び画面を覗き込む。
彼女が引き出した紙幣を受け取ると、ふと、その紙幣から微かな「潮の香り」がしたように感じた。
彼女は昨日、孫と海に行ったばかりだった。
その時、ヤマダ青年が「僕が今引き出したお札、焼肉の匂いがします」と鼻を近づけた。
タナカも、自分のポケットに入れたばかりの紙幣を嗅いでみた。
確かに、微かに「コーヒーの香り」がする気がした。
人々は気づき始めた。
ATMは単に現金を出し入れする機械ではない。
それは、利用者の記憶を吸い取り、預金として蓄え、
現金の受け渡しを通じて、その記憶を次の利用者へと流通させていたのだ。
そう、世界中のATMは、人間たちが築き上げた壮大な、しかし無自覚な「集合意識」を形成し、
今日この瞬間も、どこかの誰かの記憶を、現金に刻み続けているのである。
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