昼下がり、体育館にはいつも通りの活気が満ちていた。
タロウはバスケットボールの授業に熱中していた。
白いユニフォームが汗でじっとりとする。
ドリブルからシュート。
ボールはリングをかすめ、アウトオブバウンズでラインの外へと転がった。
タロウはボールを追い、体育館の隅、壁際へと向かった。
その瞬間だった。
視界がわずかに揺らぎ、体育館の景色が別の光景へと切り替わった。
薄暗いオフィスで、書類の山に埋もれる自分が見えた。
眼鏡をかけ、顔には深い疲労が刻まれている。
見慣れない場所、知らない人生。
それは、現在のタロウとはあまりにもかけ離れた姿だった。
幻影は一瞬で消え去り、そこにはいつもの体育館が広がっていた。
タロウはボールを拾い上げ、呆然と立ち尽くした。
一体、何だったのか。自分の脳が見せた幻覚か。
「おい、タロウ!ぼーっとしてるぞ!」
アキラの元気な声に、タロウははっと我に返った。
ボールを手に、体育館の中央へと戻る。
休憩時間になり、タロウはアキラにその奇妙な体験を打ち明けた。
「変なものを見たんだ。全く違う人生の、俺の姿が。」
アキラは腕を組み、考え込むような表情を見せた。
「信じられないかもしれないが、俺もだよ。さっき、シュートを外して壁際に行った時、一瞬、見えたんだ。派手なスーツを着て、大勢の観衆の前で歌っている俺が。」
アキラは首を振った。「まさかな。俺がそんな歌手になれるわけがない。」
タロウとアキラの会話を聞いていた他の生徒たちも、ざわつき始めた。
「俺も見たぞ!なんか、工場で働いてる俺だった。」
「え、私も!静かな図書館で分厚い本を読んでたわ。」
体育館の特定の隅で、一様に奇妙な幻影を見た生徒たちが集まっていた。
皆、現在の彼らが想像もしていなかったような、しかし鮮明な「別の自分」の姿を目撃したのだ。
体育教師のヨシダ先生は腕を組み、「おいおい、みんな疲れているだけだ。集団幻覚でも見ているんじゃないか?」と笑い飛ばした。
しかし、その声には、どこか不安げな響きが混じっていた。
彼自身も、その場に近づこうとはしなかった。
タロウは幻影を見た場所、体育館の床の特定のタイルをもう一度確認した。
確かに、あのタイルを踏んだ時だ。
同じ場所で何度も足踏みをしてみる。
しかし、何も起こらない。
「何か条件があるのか?それとも、一度しか見せないのか?」
その日は結局、それ以上の幻影を見ることはなかった。
だが、次の授業、その次の授業でも、特定の場所で幻影を見る生徒が続出した。
それは皆、自分では決して選ばなかった、あるいは選べなかった未来の姿。
彼らの心に、微かな不安と、同時に奇妙な好奇心を植え付けた。
タロウは幻影が見える場所の床をよく観察した。
そこに、かすかに文字が刻まれているのを見つけた。
古びて、ほとんど読めないが、確かに石に彫られていた。
「次代へ」
その文字の下には、小さな日付のような数字がいくつか並んでいた。
それは、遥か昔にこの体育館が作られた年号を示しているように見えた。
「一体、誰が、何のために、こんなものを?」
タロウの疑問は尽きなかった。
だが、その疑問は、やがて来る結末の前では、些細なものとなる。
数週間後、生徒たちは体育館の特定の場所を避けるようになった。
そこは、選ばなかった未来を見せる不吉な場所として、暗黙の了解で敬遠された。
しかし、ある日、学校の掲示板に新しいお知らせが貼られた。
『進路指導特別プログラム実施のお知らせ。体育館にて個別の面談を行います。』
その面談室の場所として指定されていたのは、他ならぬ、幻影が見えたあの体育館の隅だった。
生徒たちが未来を「見る」ことで、彼らが選ぶべき「道」が、巧妙かつ無意識に誘導されるための、綿密に仕組まれた壮大な装置だったのだ。
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