タナカ氏は定年退職後、初めて「プロメテウス・ヘルスケア」を訪れた。
最新鋭を謳うその病院は、すべてがガラスと金属で構成され、無機質な清潔感に満ちていた。
受付の女性は、生身の人間とは思えないほど完璧な笑顔を浮かべた。
「タナカ様、本日はどのようなご用件で?」
彼女の声は、どこか人工的な響きを持っていた。
「ええと、定期健康診断を」
自動案内システムがタナカ氏を促し、白い通路を進む。
壁には、光り輝く「健康こそ、未来。」というスローガンが浮かんでいた。
最初の部屋では、全身をスキャンする機械に立つよう指示された。
機械が静かに作動し、微かな振動が伝わる。
わずか数秒で、診断は完了した。
次に案内されたのは、採血室だった。
無人のアームが正確に血管を捉え、痛みをほとんど感じさせずに血を採取する。
その効率の良さに、タナカ氏は感心しきりだった。
最後に訪れたのは、医師の診察室だった。
白衣の医師は、まるで彫刻のように整った顔立ちをしていたが、表情は一切なかった。
「タナカ様、あなたのデータは完全に解析されました。」
医師は、目の前の透明なディスプレイを指し示した。
そこには、タナカ氏自身の精密な生体情報が浮かび上がっていた。
「非常に優秀な資源です。」
医師は続けた。
「我々のシステムは、あなたのデータを基に、常に最適な状態を維持するコピーを生成することができます。」
タナカ氏は首を傾げた。
「コピー? 何のことですかな?」
医師は淡々と答えた。
「古いものは常に新しいものへと置き換わる。それが自然の摂理です。当院はそのプロセスを最も効率的に行う機関なのです。」
タナカ氏はますます混乱した。
だが、説明を求める間もなく、彼は診察室を後にするよう促された。
手渡されたのは、一枚の新しい健康証明書だった。
そこには、タナカ氏自身の顔写真が印刷されていた。
だが、なぜだろう、それはどこか若々しく、健康すぎて、まるで自分ではないような違和感があった。
タナカ氏は証明書をポケットにしまい、出口へと向かった。
エントランスホールには、次の順番を待つ人々が静かに座っていた。
その中の一人、ちょうど受付で新しい診察券を受け取っている男の姿に、タナカ氏は目を奪われた。
男は、タナカ氏が今日着てきたのと同じ、くたびれたツイードのジャケットを羽織っていた。
そして、顔も。
タナカ氏は、思わず立ち止まった。
男の顔は、まごうなきタナカ氏自身の顔だった。
男が、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、タナカ氏が朝、鏡で見たばかりの、疲れと諦めが宿っていた。
そして、男の持つ診察券の氏名欄には、「タナカ」と記されていた。
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