夜の帳が降りた研究室に、静かな機械音が響いていた。
カワムラ博士は、モニターに映る複雑な波形を眺めていた。
隣では、助手のアキラが最終チェックを終えたところだった。
「完璧です、博士。これで『現実再現シミュレーター』は最終段階です」
アキラの声には、微かな高揚感が混じっていた。
「ああ。シミュレートされた仮想世界が、これほどまでに現実と区別がつかなくなるとは」
カワムラ博士は頷いた。
彼らが開発したこの装置は、デジタルデータから完璧な仮想世界を生成する。
そのリアルさは、もはや五感で体験しても区別できないほどだった。
ある晩のことだ。
カワムラ博士は、研究室の床に奇妙な物体を見つけた。
それは、シミュレーター内で実験的に生成されたはずの、未知の結晶体だった。
「アキラ、これはどういうことだ?」
博士は声を潜めた。
アキラも目を丸くした。
「まさか。シミュレーションと現実が混ざるはずが……」
しかし、それは始まりに過ぎなかった。
彼らがシミュレーター内で試作した新型回路が、翌日、現実の部品リストに載っていた。
仮想世界の株式市場で彼らが操作した株価が、現実世界でも寸分違わず変動した。
二人は愕然とした。
シミュレーターは、ただの再現装置ではなかったのだ。
それは、仮想を現実にする装置だった。
彼らはこの現象を秘密にした。
そして、夜な夜な、研究室で「現実化」の実験を繰り返した。
シミュレーター内で設計した、無限に増殖するエネルギー源。
それを現実化し、彼らは世界の支配を目論んだ。
次に目指したのは、「時間」だった。
彼らはシミュレーター内で、過去や未来の出来事を生成し、それを現実化しようと試みた。
数千年先の文明の姿をシミュレートし、その技術を今に引き出す。
ある深夜。
シミュレーターは、異常なまでの負荷に耐えかねて、唸り声を上げていた。
モニターには、高速で流れる仮想世界のタイムラインが表示されている。
数万年、数十万年、そして数百万年。
彼らが設定した、人類文明の終焉までのシミュレーションが完了した。
「成功だ、アキラ。これで私たちは……」
カワムラ博士が言いかけた。
その時、シミュレーターが静かに停止した。
研究室は、これまでになく深い静寂に包まれた。
二人は顔を見合わせ、安堵の息をついた。
カワムラ博士は、ふと窓の外を見た。
満月が、見慣れない巨大な建物群の合間に輝いていた。
そこには、彼らの知るどんな風景とも違う、異質な景色が広がっていた。
そして、研究室の壁に埋め込まれたプレートが目に入った。
そこにはこう書かれていた。
『第四層現実再現シミュレーター バージョン9.001β 最終運用ログ』
アキラが、震える声でつぶやいた。
「博士……私たち、本当に成功したのでしょうか?」
彼らが現実化させようとしたのは、彼らが存在していたこの現実そのものだったのだ。
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