海に沈む前のカルテ

島に残る鉄道の跡は、踏切だけだった。線路は四十年前に撤去されたが、警告音だけが霧の夜に鳴る。私は離島の診療所で、看護師として最後の一人になっている。医師は二年前に本土へ戻り、患者は、どこへも行っていないのに、いなくなった。
診断はアプリがやる。島民は皆、県が配った腕時計型の端末を身につけており、脈拍と血圧と睡眠は毎秒、本土のサーバーへ渡る。処方箋は週に一度、無人の連絡船で届く。診療所の待合室には誰も座らず、テレビだけが二十年物のドラマを流し続けている。北国の大地に移り住む家族の物語で、島の老人たちは昔、毎週これを見て、ああ、北国へ行きたい、と言ったという。誰一人、行かなかった。
漁をやめた老人が、毎日診療所のベンチでネット競馬をしていた。スマートフォンの小さな画面の中で、馬の蹄だけが光を蹴っている。
「この前な、ワシの不整脈を、レースの三分前に知らせてきたんだよ。アプリがよ。勝つか死ぬか、どっちも先にわかってる」
老人は笑う。データは彼の心臓を、彼自身より正確に知っている。知っているということは、商品にできるということだ。私は関係書類の写しを見たことがある。この県のモデル事業の実態は、高齢の身体のデータセットの集積で、島は実験場として選ばれたのだ。健康でいてくれる限り、彼らは価値を生み続ける。そして死にゆく過程さえ、学習データとして回収される。
先月、システムは予測を出した。当該地域の将来の医療需要、二十年後にゼロ。読み方は簡単だった。この島に、人がいなくなる。翌週から連絡船の便は減り、診療所の予算は凍結された。終わりは予告される時代なのだ。天気予報のように、避難勧告のように、誰の感情も挟まない形で、静かに。

テレビでは、天文学者が宇宙人はここへ来ないと繰り返していた。証明も反証もないのに、彼は断言する。星は見ているだけで、救いには来ない。老人は知ってたよ、と呟いた。誰も、私たちのところには来ないのだ。線路を敷く者も、医者も。
それでも老人は競馬をやめない。「二十年後には、どの馬が走ったか覚えてる奴が、この島に一人もいなくなるんだ。だから今のうちに賭けておく。記念にな」
別の日、テレビではポルトガルとノルウェーの試合が流れた。老女が長身の選手を指して言った。「あの子、逆巻く潮に向かって泳ぐ魚みたいだねぇ」。誰も、本土へ帰る話はしなかった。終わりが予告されたあとで、人は急に物静かになる。北国へも行かなかったように、この島からも、たぶん誰も行かない。予告のない場所には移れないのだ。
霧の深い夜、私は踏切に立つ。線路のない砂利の上に、警報機だけが昔のまま佇んでいる。夜の十時、警告音が鳴った。遮断機は下りない。鳴り続ける音のむこうで、海底ケーブルの中継器が淡く灯っているのが見えた。気がつけば、この音は毎夜同じ時刻に鳴っている。誰かがデータの通過に合わせて警報を鳴らしているのではない。これは、島の心電図なのだ。
毎秒、八十人分の脈拍が海を渡っていく。八十個の心臓が、砂利の下を見えない列車になって走る。本土のどこかで、それを集める巨大な回路が、私たちの終わりの時刻を待っている。そして待っている間も、私たちは健康でいなければならない。商品は、壊れる前がいちばん高いのだから。
警告音が止むと、霧の中に静けさだけが残った。線路はないのに、踏切は今夜もどこかを遮断している。私はポケットに、工具の入った小さな袋を持っていた。中継器と警報機をつなぐ細い線を切れば、この音は二度と鳴らなくなる。彼らは気づくだろうか。それとも、これから先も毎夜、音なき警報が鳴り続けるのだろうか。
海の向こうで、誰かが私たちの心拍を数えている。私はまだ、線に手をかけていない。霧の奥から、汽笛らしきものが聞こえた気がした。島の終わりが来るとき、それは沈没かもしれないし、停車かもしれない。遮断機はいま、いったい、何を見て下りないのだろう。