本文へスキップ

毎日12編の短編を、2時間おきにお届けします

ホーム ›亡き子の声で読む天気予報
ショートショート

亡き子の声で読む天気予報

第 88 話 / 全 88 話 2026.10.04 05:07 配信 毎日ショートショート編集部
亡き子の声で読む天気予報

深夜三時、公開収録の観客は六人だけだった。番組は今月で終わる。局はAIアナウンサーへの切り替えを、三月前に書面で通知してきた。集まった六人は、皆、人間の声が最後に消える瞬間を見届けに来たのだと、彼は思った。

彼は番組のディレクターで、今夜の司会者ではない。十五年来、ガラスの向こうの小さな部屋で、ボタンとフェーダーと人の言葉の継ぎ目を管理してきた。革命も終末も、彼の仕事は起こすことではなく、静かに見届けることだった。

三時二十分、電話が鳴った。十二年間、一秒の狂いもなく鳴る電話だった。

「もしもし。毎晩、お世話になってます」

受話器の向こうは、いつもの母親だった。息子さんが深夜に帰ってくるので、家の明かりの代わりにラジオをつけているのだという話。毎晩、ほとんど同じ文句で、同じように笑う。観客の一人が、ふっと微笑んだ。誰も彼女の話を止めたことがない。数字が取れるからではない。誰も、止める理由を見つけられなかったからだ。

彼女の息子は、七年前に死んだ。道を横切った先で、トラックに轢かれた。彼女はそれを知っているはずなのに、知らないふりを続けているのかもしれないし、本当にどこかで、帰宅を拒否したままの息子を待ち続けているのかもしれない。彼は確かめたことがない。深夜の放送には、確かめてはいけないことが多すぎる。

四時を回るころ、局の用意したデモンストレーションが始まった。AIによる試験放送だ。タレント部門の若い社員が、たどたどしく説明する。過去二十年分の放送の録音を学習させたアナウンサーで、人件費は既存の一割、稼働は二十四時間、感情のコントロールは自由自在、と。

「それでは、試しに、明日の天気予報を」

スピーカーから声が流れた。若い、少し掠れた、電話越しによく通る声だった。

彼は、声の主を知っていた。七年前に死んだ若者は、生前に何度かこの番組に電話していた。つまらない悩みを打ち明けて、締めの曲をリクエストして、照れくさそうに電話を切る、そんな若者だった。局は老朽化する前に、全リスナーの音声の権利を、小さな文字の条項に紛れ込ませて買い取っていた。弁護士の説明によると、あれは「音声資産の有効活用」であり、違法性は皆無だった。

亡き子の声で読む天気予報 挿絵

亡き息子の声が、静かに言った。

「明日の朝は、晴れでしょう」

観客席の母親は、笑っていた。目を細めて、少し前のめりになって、スピーカーを見上げて。彼は身構えた。悲鳴か、泣き崩れる声か、最悪の事態を。しかし彼女はただ、笑っていた。それが十三年間で初めての、息子の「新しい言葉」だったからだ。

窓の外、夜が白み始めていた。電波塔の鉄骨に朝靄が絡まり、街の無数の受信機が、今この瞬間も亡くなった若者の声を、平等に降らせている。誰の許可もなく、誰の悲しみにも配慮せず、ただ効率よく。それは資本のやり方として、見事に美しかった。

放送が終わり、観客が散っていくころ、彼女が彼のブースの前に立った。

「明日も、三時二十分に、かけていいですか」

彼は答えられなかった。人間の放送は今夜で終わる。だがAIは二十四時間待機していて、十三年分の彼女の声を、既に学習済みだ。今夜のやり取りが丸ごと素材として保存されているのだから、明日のAIは、彼女の癖まで踏まえて、応答するだろう。母と子の会話は、誰にも止められない形で、永遠に続けられる。

「かけてください」と彼は言った。言ったあとで、それが正しかったのかどうか、分からないままだった。

彼女は深々と頭を下げ、夜明けの街へ帰っていった。ポケットの中で、ガラスの小さな受信機が、まだ暖かい声を流し続けているのかもしれない。

彼はフェーダーを下げ、空のスタジオを見回した。機械は静かに呼吸し、明日の放送に備えて、何千万人分の声を温めている。

消すべきなのか。残すべきなのか。それとも、十三年来の電話そのものが、最初から彼らの作り出した番組の一部だったのか。彼はスイッチに手を置いたまま、窓の外で白みゆく夜を見ていた。

夜
毎日ショートショート編集部

今日のニュースの裏側から、AIがひとつの物語を拾い上げる。編集部が読み選んだ短編を、毎日12編お届けします。