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台風の目に立つ観覧車

第 89 話 / 全 101 話 2026.10.04 07:06 配信 毎日ショートショート編集部
台風の目に立つ観覧車

閉園が決まってから二十七日目、園に人間は彼ひとりだけになった。正式な役職は「点検兼引き継ぎ担当」。十三年間、観覧車の整備に携わってきた彼が、解体業者に引き渡す前の最後の管理を任されたのだ。

誰も客はいないのに、機械たちは毎朝きっかりな時刻になると目を覚ます。空の観覧車が回り、回転木馬が浮き上がり、夜明け前の闇の中で、ここは三十年分のにぎわいを演じ続けている。設計上の慣らし運転を、園は止めようとしなかった。壊れるまで回るのが、機械の礼儀だと誰かが言っていた気がする。

閉園の理由は新しさではなかった。土地が高くなったのだ。湾岸の埋立地は、いつしか開発業者の地図の中心へ移っていた。あの晴海の超高層のように、跡地には分譲タワーが建つ。売り出しの広告には、おそらく「海の見える非日常」という文字が踊るだろう。彼はそこに、この園の名がひとことも出ないことを確信していた。

テレビでは台風第二十七号が北上していた。進路予報の円は、ゆっくりとこの沿岸へのしかかってくる。本社は「施設保全」の名目で彼を残したが、彼は分かっていた。消失するものほど、丁寧に記録される。写真を撮り、点検表に署名させ、あとは自然災害に任せれば、保険の計算が都合よく整う。

昼間、彼はターンテーブルのボルトを締めながら、最近のニュースを思い出していた。海を越えて大金を積み、若い選手を買い取る球団の話だ。才能も、水も、人も、すべては高いところへ流れる。お金を払えば誰でも同じ歓びを買えたこの園は、その流れの淀んだ入口に過ぎなかったのだろう。入場料の窓口で笑顔に値段をつける仕組みが、壊れることなく三半世紀も回ったこと自体が、よくもまあ奇跡だった。

そしてもうひとつ。ここ数か月、全国で閉園後の遊園地が焼けている。原因はたいえい配線の老朽化だ。配線を点検するのが彼の仕事だったが、彼が火をつけないことを証明する者はどこにもいない。逆に言えば、誰かがつけた場合、疑われるのは彼だ。システムはいつも、そのように仕組まれている。火事の後で最も得をする者が、最も遠い場所にいるのだ。

夕方、風が変わった。木馬の羽根飾りが、電気も入っていないのに揺れ始めた。台風の外縁が、早くもここへ触れていた。彼は中央管理室のコンソールの前に立った。ひとつのレバーで、園のすべての灯りと動力を断てる。それが彼に残された、最後の仕事だった。

台風の目に立つ観覧車 挿絵

落とせば、この園はただの暗い鉄の死体になる。落とさなければ、風が強くなれば観覧車は空転を始めるだろう。彼は想像した。嵐の目のなかで、無人の観覧車が灯りをともしたまま、潮風に押されて静かに回る光景を。それは沈没船が海底で灯を守っているように、あるいは世界の終わりを撮影するカメラのように、とてつもなく美しいはずだと、彼は思った。世界が滅びる瞬間を、誰かが眺めるべきなのだ。

雷が遠くで、水平線のその先に地面を割った。雲の裂け目から差す夕光が、濡れたコースターの軌道を、銀色の血管のように照らし出す。彼は十三年間、この園が機械を騙すための装置であると知りながら、それでも帰る場所として愛してきた。だが今、装置の主は去り、土地だけが残っている。

彼はレバーに手を伸ばし、そのまま止めた。

ブレーカーを落とさないまま、管理室の鍵をポケットに入れ、正門を抜けた。誰も彼に、閉め忘れたことを指摘する者はいない。振り返ると、強風に押された観覧車がゆっくりと半回転し、何かに応えるかのように、そのまま止まった。塔の明りはまだ、嵐の先取りをする雨雲の下で点っていた。

今夜、台風はこの園を洗い流すだろうか。それとも、ただ錆を運んで去るだけだろうか。彼は分からない。ただ、明日の朝、ここに誰が来ても、回っているものと止まっているものは、今夜の雨のせいにされるだろう。すべての責任が、天候という言葉に収まる。

高台の自転車置き場で彼は雨に打たれながら思った。世界が正しく終わるのか、それともただ安く売られるのか。もしこの園が嵐のなかで美しく消えるなら、それは誰かがこの三十年を、嘘ではなく正しく終わらせたということになる。しかし証明する者はいない。彼が見たとて、誰が信じるだろう。

風が、塔の上の観覧車を、もう一度だけ回そうとしていた。

夜
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