雲の上で値段をつけない

スキャナーがまた拒否した。標高千六百メートルの集配所の天井は低く、冬の雲が網戸越しに機械の熱を冷やしていく。画面には『再評価待ち』と出る。荷物は誰のものでもないらしい。受取人も差出人も、登録されていなかった。
私はここで、降りてくる荷物と登らない荷物を仕分けする。自動車道の終点から先は、荷物だけが細い鋼索を伝って山腹へやってくる。大きな物流網は麓で完結するはずだったが、十年前の再編でこの集配所だけが残った。理由は誰も説明しない。便益が薄い場所ほど、妙に長く残る。そういうものだ。
システムは冷たい。箱の大きさ、重量、ルート、滞留日数、保険、消費期限、端末の位置情報。それらを掛け合わせて、世界はほぼ瞬時に値段をつける。値段のつかないものは、足切りされる。足切りされたものは、ここに回される。山の上は、例外の墓場であるべきだった。
それなのに、白い箱が増えていた。バーコードのない、糊の匂いだけがする薄い箱。宛名は手書きで、例えば『氷点下で鳴く鳥へ』『降りない雪の学校へ』『退場した労働者の噺家へ』。最初は悪戸かと思った。物流に返礼品の名を借りた遊びだ、そう思えば腹も立たない。しかし、箱の中身は毎回ちがった。一粒の豆。削れた歯車。誰かの卒業アルバムの切れ端。海底ケーブルの図面を描いた学生のノート。塩。
私は黙って仕分けを続けた。怒りはあった。下界では、必要なものまで遅れ、不要なものだけが正確に届く。配達の速さが善で、遅さが罪で、宛先のない熱意はコストでしかない。私はその仕組みを壊す力も意思もなかったが、だからこそ、手書きの宛名を見るたびに胸の奥が硬く鳴った。誰かが、測れないものを運ばせようとしている。
通信事業者の中継塔が、集配所の裏山に低く灯っていた。かつて人はそこに集い、空白の峠を飛び越える電波を信じた。今は誰も登らない。基地局の鉄塔は錆び、表示灯だけが規則正しく赤く点滅する。赤は異常を知らせる色である。だがこの山では、赤が正常だった。雪が降れば回線が細くなり、晴れても風で位置が狂う。完璧な網など、最初からなかった。

ある夜、白い箱が一斉に霜を噛んだ。金属棚の上で、同じ瞬間に曇り始めたのだ。私は手袋もせずに近づいた。冷たさは痛いほど綺麗で、霜の結晶が宛名文字の上にだけ厚く育ち、『へ』の跳ねや『の』の丸を銀色に縁取っていた。誰かが宛先を書くときの遅れ、迷い、書き直しまでが、霜に読み取られているようだった。
集配所の端末が一度に点滅した。配送遅延の警告ではない。需要予測の更新でもない。画面の中央に、小さな黒い四角が現れ、しばらく呼吸するように膨らんだ。中身は見えない。ただ、全ての箱の重さが、わずかに軽くなった気がした。山は高い。空気は薄い。価値の濃度も、確かに薄まるはずだった。なのに、軽さの中に輪郭だけが残った。宛先のない熱意が、質量を捨てて輪郭になった。
私はドアを開けた。夜の山は、終わりの音を立てていた。遠くで雪が斜面を滑る低い音。近くで、配送用の無人車がエンジンを掛けようとして失敗する乾いた音。下界の灯りは雲の下に沈み、ここだけがまるで世界の縁取りに置かれた標本のように静かだった。美しいと思った。破壊とはちがう。破壊は騒がしい。これは、誰にも見えない何かが、そっと荷物の順番を入れ替える音だった。
霜の中で、一つの箱が開いた。蓋ではなく、封をしていた糊の筋が緑に透けた。中から芽が出ていない。出てはいないのに、出ることを決めた線だけが、薄い板を内側から描いていた。私はその線を見て、初めて怖くなった。怖いのは変化ではない。変化の前に立ち、署名欄を差し出されることだ。受け取るべきか。返すべきか。それとも、ここで誰かの宛名になるべきか。
背後で中継塔の赤い灯が一度だけ緑に近づいた。すぐに赤へ戻る。だがその瞬間、集配所の全ての棚で、宛名のない白い箱が同じ向きを向いた。北ではない。麓ではない。空の薄いほうへ、一斉に。
画面が最後に問いかけてきた。『未評価のまま出発しますか』。私は指を浮かせたまま、雲の切れ間に漏れる白い光を見た。世界はまだ終わっていない。終わりも始まりも、値段のつかない箱の中で、静かに並べ替えられているだけだ。私は受取印を押すのだろうか。それとも、鍵をかけたまま山を下りるのだろうか。